3.さくらももこ『神のちから』(1992)
文:成毛慎吾(Guitar)

 みなさんご存知、さくらももこ先生。その代表作はもちろん「ちびまるこちゃん」、そして「コジコジ」です。どちらもかわいいキャラクターの中に感動や笑いだけでなく、毒がちょうど良く入っていて大人から子供まで楽しめる作品になっています。

 そんな「ちびまるこちゃん」「コジコジ」の毒の部分を中心に書かれた作品が「神のちから」です。ただ最初に書いてしまいますが、この作品を人に紹介したり論評することは無駄なことなのです。しかし、良い作品だと思うので読んでいただきたく紹介します。

 とにかく、この漫画は全17話だけでなく帯、あとがき、付録漫画まで全てがニュアンスだけであったり、意味の無いことで統一されています。それでも読者を納得させるのは構成がしっかりしているからでしょう。私はこのような作品をしっかりと本気で書いてくれたことに非常に感謝しています。

 一時、シュール漫画がブームとなり無駄なほど同じような作品が出てきました。そのような作品たちは派手で主に笑いを狙って書かれていたと私は思います。が、「神のちから」は地味で狙っているのは「無駄」です。「しっかりとした無駄」を1話ずつそこにあるルールにのっとって書かれているのです。つまり、漫画の中の登場人物たちは現実から見ればおかしなこと、シュールなことを少しもおかしいと思わず受け入れ当然のように生きています。現実と漫画の中の現実のズレを楽しむ作品なのです。たまに、「何かおかしいぞ?」という人物もあらわれます。その人物は最初、ほぼ読者と同じ目線で書かれています。が、この中では「あんた何言ってるの?」と思われてしまいます。そして、その人物は少しずつ「おかしいのはオレか?」と、思うようになり最後には全てを受け入れているのです。受け入れてから考えるということの大切さを私は感じます。

 さて、ブームの中にあったシュール漫画は現実からどれだけ遠くにいけるかがテーマだったと思います。遠ければ遠いほど良かったのです。しかし、この作品はどれだけちょうど良くズレるか、作者の狙ったところに落とすのがテーマなのです。それも作者の面白いと思うところにです。ということは、そこが同じだったり理解できないと「神のちから」は面白くないかもしれません。残念です。
 そして、オチでその世界になれた読者を少し現実に戻したり、全くオチを用意しなかったりして、読者に何かさびしかったりむなしい気持ちにさせます。そこらへんは漫画の中も現実も同じでした。
 確信犯でこんな作品を書いたさくらももこ先生は狂っています。そうでないと「おどるポンポコリン」という言葉は生まれるはずがありません。

 最近新たに1話追加した新装版が出ているので新しくお買いになる場合そちらをお薦めします。また、この作品を買いたくないけど読みたいという方はライブに来て下さい。貸します。

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