1.ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』(1988-1994)
文:小原こうた(vo)

 僕がはじめてパトレイバーを読んだのは小学校の頃であった。

 きっかけは、イトコのお姉ちゃんが何故か知らないが、当時連載されていたこの漫画の単行本10冊を突然くれたことだった。
パトレイバーはアニメ化もされ、名前は知っていたし、ロボットアニメ系はガンダムをはじめとしてマクロス、ボトムズなど結構見ていたので抵抗なくこの漫画にも入れると思っていた。
 しかし、実際の中身は、宇宙空間を漂い、ビームサーベルやらライフルやらを打ちまくり、ロボット(パトレイバー)が敵を次々なぎ倒していく、というものでは、なかった。なんだか難しい、大人の世界であった。考えてみれば、ガンダムもストーリ自体は把握できていなかった。なんでアムロがガンダムに乗ってるのか、ジオン軍は一体何者なのか、わからなかった。ただ、百式のアンテナは慎重に扱わないと折れてしまうし、ビームサーベルもまた然り、要するにプラモデルに興味があっただけで、ロボットがカッコ良ければ、惚れたはれたの三角関係などどうでもよかったのである。

 ということで、 3巻あたりまで読んだあたりで挫折、僕は西友に一号機のプラモデルを買いに行った。二号機は太田が乗っていたし、顔がカッコよろしくないので飛ばして、量産型の3号機も後で買った。それとブロッケンという、悪玉のレイバーのプラモデルも買った。作った。並べた。その隣には武者ガンダムもおった。磨いた。
 中学生になると、プラモデルは全く作らなくなった。その代わり毎日ギターを磨いた。
 高校生になると、女の子に夢中になりながらギターも磨いた。

 大学に入り、引越すことになり、押入れのものを全部捨てることにした。するとどうでしょう、懐かしいおもちゃの数々。ミニ四駆、ビックリマン、キン消しに、セイントセイヤのクロス・・・その中にレイバーのプラモデル。ああ俺はこれを夢中になって作ったんだったっけ、と、箱を開けると、顔がない。1号機の顔がないし、泉巡査のフィギュアもない。一体どういうわけ?といろいろ開けてみたら、ブロッケンだけマトモで、あとはガンダム含めて顔なし、腕なし、下半身なし、など、様々な障害を持ったプラモが散在していた。
 ブロッケンだけまともだったのは、あまりに地味なロボットだったのでイジクリ回してないからだった。で、これはどういう経緯で登場したレイバーだったかしらん、と、近所の古本屋に行って、パトレイバーの残り12巻分を買ってきて最初から読んでいったら、これが最後まで読ませてしまう。しっかりとした設定、キャラクター、絵。すごい漫画じゃないか、と見直しつつ、これはロボットアクションものなんかじゃないことに10年かけて気付いたのだった。

 秋葉原界隈にうろつくバンダナ軍団のせいで敬遠されがちなこの漫画、まったくもってそういう、オナペット的なものではございません。
これは近未来、しかもちょっと有り得るかもしれないと思わせるような、チョー近未来を描いております。チョーは「近」にかかるわけで、2×××年とかそういう未来じゃない。 そして舞台は日本の警察、パトレイバーは治安を守るためのもので兵器ではない。
主役は婦警さん、悪役は一つの会社のイチ課長。つまり、ロボットを現代社会のなかに入れてみたのがパトレイバーなわけだ。

 これが成功した背景にはおそらく、20世紀も終わりに近づいてきてロボットが社会に登場することが十分に可能になってきたという、時代性もあるだろう。ちょうど連載されていたのがバブルの頃だから、ああいうデカイロボットがその辺をうろつくことも10年ぐらいしたらあるんじゃないか、それを読者に納得させる時代だったというか。さらに、ロボットはあくまで道具にすぎず、無敵ではないように描かれていることもポイントだ。パトレイバーも、カッコイイとダサイの両面を備えたデザインになっている。大きさもトレーラーに載るくらい。この辺が、現代劇の中にロボットをおいてもさほど違和感を感じさせない要因であろう。
 警察組織の描き方もいい。あくまで組織、お仕事なのであり、上司と部下の関係の中で物語は進行していく。無茶をすれば処分があり、マスコミに叩かれるのだ。

 さっきマニア向けじゃない、と言いきったが、そうでもない。ちゃんとマニアがのめりこむような要素がちりばめられている。主人公は女の子だし、お色気シーンもたまにあるし。バンダイが儲かりそうなロボットはいっぱい出てくるし。そういう漫画は大抵、設定とストーリーがムチャクチャなのだが、これはそうじゃなかった。マニアと子供を食いつかせるにはカッコイイロボットとかわいい女の子がいればOK。アホだから。しかしもっと幅広い層をとりこむには、ストーリーと設定が重要な鍵になる。ツッコミどころが少ない方がいい。それをちゃんとやってるから今でも読める。セイントセイヤはもう読めない。この辺がこの漫画のウマイところ。ヒットしたのはねらい通りだったのかもしれん。サンデーで連載してたもんね。

 ところで僕が好きなのは全体を通して盛りこまれたギャグである。ギャグは大事だ。べつに、読みながら腹を抱えて笑うほどのものじゃなくていい。たまに甘いのが食べたくなるのと似ている。休みがあればよいのだ。その程度でも、ギャグが入っていると力をいれないで読める。これは手塚の手法だ。初期ドラゴンボールにも見られる。高橋留美子然り。これをやりつづけているから、逆にしばらくギャグが入ってこないとそこがクライマックスに感じられる。入りこんで読む。計算していたのか知らんけれども、ゆうきまさみは漫画をかなり研究したはずだ。

 強いてまずいポイントを挙げるとすれば、途中から登場人物が増えすぎたことか。シャフトという、悪役の会社周辺の人間達の相関図が頭に浮かばなくなってくる。誰が本当に悪いのか、わからなくなる。ていうか本当に悪い奴って実は出てこないのかも。

 この漫画はたぶん、秋葉原が嫌いな人にも読めると思う。だし、面白い。ちょっとおたく臭さを感じても、我慢してください。

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